LOGIN遠くに見える王城とその少し左手にはもっと高台にある大聖堂も見えている。
見ているだけなら美しいそれを二人で眺めながら公爵は続きを話し出した。
自分とサリバン家の双子とノエル、そしてミレーのすぐ上の兄。
いつも五人で遊んでおり、それに二つ下のミレーはいつもくっついて来ていたらしい。想像するにその五人と一人のα集団に出くわしたら、オーラがとんでもない上に、顔面強過ぎて近寄れない気がする、とオルタナは苦笑する。
ミレーの兄弟は見た事がないが、公爵曰くよく似ているらしい。
オルタナは中性的な顔をしたミレーを想像して、モテないわけがないと一人納得した。「皆が揃ったら凄い圧だろうね……」
「そうか? まぁ、腐れ縁と言うヤツだな。友達と義兄弟になるとは思ってなかったが、あいつらが兄様等と呼ぶのは半分揶揄っているんだ」
「あぁ……ナタリス様とエルダ
「おや、王妃様。貴女もラカン進軍の伝令をお聞きになったでしょう? ケルメス様はラカン進軍を予期されていました。敵襲さえ予期出来ぬ王など、民を危険に晒すだけ。民がどちらを支持するかなど、聞かずとも分かる事でございましょう」 良く喋る。 これは重畳。 オルタナは昂る王妃をもう一度庇う様に、一歩前へと進み出る。「それを僕達に聞かせると言う事は、ここから出す気がないと言う事でしょうか?」「ははっ、出た所で王陛下や特警はモリガンから生きては戻らぬでしょう」「どういう意味です?」「言葉通りですよ。でも心配はいりません。すぐに新しい王がこの国を正しく導いてくれます」 そう言って喋る護衛は覆面の下で卑下た笑い声を吐く。 新しい王――? ケルメスは現王を殺して自分が王位に就くつもりなのか? ここまで来るとこの五人の中にアラベルもオブライアンもいないと考えた方が良いだろう。 やっぱり王妃だけでも逃がすべきだったのか。 逃げる選択をしなかった事が、最悪の結果を招いているように思えた。 次の言葉を探していると、また地鳴りのような音が聞こえて来る。 入って来た石戸の絡繰りが動いている音だ。「あぁ、来られたようです」 喋る護衛の視線が、入口へと向けられた。 ゆっくりと開いた扉の向こうには、ケルメスと若くて体格のいい黒髪の青年が立っている。 誰だ? 何だか、その青年に既視感を覚える――。 そしてオルタナは彼を見て思い当たり、思考が一時停止した。 護衛達はその黒髪の青年に片膝をついて首を垂れ、礼を尽くす。「ダリス、王妃様を連れて出なさい」「え?」「この部屋にその子供は必要ありません」
ゴトリと大きな音を立てて馬車が止まる。 護衛の一人が扉を開けて降りる様促された。「ここはどこ? 大聖堂へ行くのではなかったの?」 王妃のその問いに、誰も答えようとしない。 顔の見えない護衛達に取り囲まれて、オルタナは思考をフル回転させた。 マズい。 このまま行くと背後に見えている滝壺へと転落させられるか、斬り捨てられた所で誰にも助けて貰えずに息絶えて死ぬだろう。「どういう事ですか? 大司教様は大聖堂へお連れしろと……」 ダリスも同じ様に焦っている様だった。「こちらから大聖堂へ入って頂きます」 護衛の一人が初めて喋った。 彼が差した指の先には、洞に扉を付けた様な入り口が見えている。 正面から入らない所がもう既に怪しい。 だが、ここで暴れたり隙を作って逃げても、こちらはΩが二人もいる上に王妃はドレスを着ている。 走って逃げるにも限界があるし、唯一αであるダリスはまだ杖を突いていて宛てにはならない。 オルタナは苦し紛れに公爵邸を出る時に持たされたハンカチを、護衛に見つからない様に叢へと落とした。 運が良ければ誰かに見つけて貰えるかもしれない。「行こう、ラティ」「オルティ?」「今ここで逃げても成功率は低い」「……分かったわ」「ダリス」「はい」「君の優先順位は僕じゃなくてラチア様だ。絶対、それだけは違えないで」「……かしこまりました」 ナタリスは“サリバン公爵の番”は、公爵との交渉材料になると言っていた。 なら、自分が殺される確率はほんの僅かだが王妃より低く見積もっても良いだろう。 それに、ケルメスは夜会で王陛下に王妃に何かあれば責を負うのはお前だと釘を刺されていた。 殺そうとするだろうか?
「その節は、大変ご無礼を……」「ファージ様……」「ナタリス様、及びサリバン公爵の命で数日前よりこちらに」「そ、そうでしたか……」「お前が人間辞めた方ね」「はい、王妃様。私めの事は犬とでも思って頂ければ……」 あの口が悪くて激情家だったダリス・ファージがまるで別人の様だった。 平民平民と見下していたのに、遜って喋る様は違和感しかない。「良いわ。お前の事は許さないけど、お前の飼い主は信用に値する。でも、私の友をもう一度傷つけたら、今度は私が死ぬより辛い罰を与えてあげるわ」 さっきまで王陛下のモリガン進軍の話で心ここに非ずだった王妃が、いつもの調子に戻っていた。「御意」「ラティ……僕はもう、気にしてないよ。ファージ様もナタリス様に色々とお仕置き? されたみたいだし……」「いいえ、オルティが良くても私が許さないわ! αだからと言ってΩを組み敷いて蔑むなんて、人間辞めさせられて当然なんだから!」「ちょ、落ち着いて……ラティ……」 クスニューの森でのダリスを知っているオルタナからしてみたら、覇気のない自分を犬だと言うダリスが可哀想に見えていた。 ナタリスに何をされたかは知らないが、あの短時間でこの従順さと言うのは信じ難い姿でもある。「他の潜入班の人達も、無事に入れたのかな……?」「オルタナ様、お気付きではなかったのですか? さっきのあの場に全員揃っていましたが……」「えっ? さっきって、あの河岸に?」「はい。あぁ、でも一人赤毛の彼だけは、別行動しているはずです」「そうなんだ……」 と言う事はあの覆面を被った護衛の中に、アラベルとオブライアンがいると言う事になる。 もしかしたら付いて来ている五人の中に、どちらかがいるのかもしれない。「これから行く大聖堂では“神の宴”が行われる他、ドラコン
祖母が古代語を使う時は誰にも知られてはいけない事を話す時だけ。 冷たい神殿と言うのが何の事かは分からなかった。 けれど、そこに何かがあると言う事なのだろう。 薬草と土の匂いの混じった懐かしい祖母の香りに、ずっとそうしていたくなる名残惜しさを感じた。 オルタナは祖母の腰に回した自分の両手にグッと力を入れた。「良い事をした後は気分が良いですね。ですが、このような穢れた場所に銀の君を長居させる訳にも行きません。後程また時間を取って差し上げますから、移動しましょう」 ケルメスはそう言うと、大公妃を馬車へと促す。 穢れた場所――。 そんな場所でたった一人、瓦礫を集め流木を拾い、まるで奴隷の様な扱いを受けている祖母を目の前にして良くもそんな事を! 良い事だと⁉ 殺そうとしておいてよくも! 祖母を抱きしめた腕が震える。 あの爺だけは絶対に許さない。「すぐ挑発されるんじゃぁないよ、お馬鹿さん」「あいつ、嫌いだ……」「自分より強い相手には、どうするんだった? ん?」「ちゃんと観察……いっぱい喋らす」「そうだよ。出来るだろ? お前は私の自慢の孫だからね」「ん……」 腕を解いた祖母が、頭をワシワシと雑に撫でる。 名残惜しくも祖母の体を離して、馬車へ戻ろうとした所に早馬が駆け込んで来た。「伝令――! 伝令――ッ!」 そう叫んだ馬上の男に、全員が振り返る。「モリガン国境地帯にラカン軍の進軍を確認! 国王陛下指揮の下、国軍が防衛戦に参加するとの事!」「何とっ! 陛下自ら挙兵なさるとは……」 そう零した大
そんな話をしている内に、ゴトンと大きな音を立てて馬車が止まる。 馬車は荒廃した河岸に停められ、決壊した河の周りには瓦礫や流木が散乱している。 緩くU字を描く河の畔は、荒ぶった河の水が濁流となって押し寄せただろう傷跡がありありと残されていた。 それは古く乾いた形跡ではなく、じっとりとした湿度を持って新しい爪痕をまざまざと見せつけて来る。 全く手付かずのままにされているその場所には流された民家が壊れた玩具のように崩れ、住んでいる人の気配は感じられない。 だが、辛うじて根を保っている折れた古木の傍に佇む人影に気付いて、オルタナは目を見張る。 白いローブを着たその小さな人影が誰なのか、目を凝らさなくても分かる。 婆ちゃん――――! 会いたくてたまらなかった。 なのに、いざ目の前に姿が見えるとどうして良いのか分らない。 ガチャリと馬車の扉が開かれ、降りるように促される。 オルタナは馬車の踏み台を踏む足が、震えている様でグッと片手を握りしめた。「何と酷い……」 河岸の状況を見た大公妃が扇子で隠した口元で一言そう呟いた。「先日の嵐でまた一部決壊しまして。もう手が付けられぬ状況なのです」「民に影響はなかったのですか?」「この辺りに住む者はもうおりませんし、予言は区民にも伝えてありましたから、人的被害はありません」 大公妃の問いにケルメスがドヤ顔でそう答える。 予言――? ケルメスにも祖母の様な自然の理に精通する知識があるのだろうか。 サリバン家の別荘でアラベルの話を聞いた時、ケルメスはバカではありませんと、ウケイが言っていた。 夜葡萄や原初のΩの事を知っているならある程度、古文書が読めるのかもしれない。 おもむろに傍にいた護衛が「ドーラ! こちらへ来なさい!」と声を張る。 木陰に
ネロ区の関所の手前にある広場には大公家の紋章の付いた荘厳な馬車と、ケルメスが用意すると言っていた小隊規模の護衛が騒然と並んでいた。 街の人達は広場の外から物見遊山で野次馬となって見物している。「遅いので何事かあったのかと心配しておりましたよ」 物々しい護衛を背後に従えたケルメスが、馬上から何食わぬ顔でそう言って笑った。 自国の王妃が目の前にいると言うのに、下馬する事もせずにまともに挨拶もしない。 これがケルメスの本心を表していると言っても過言じゃない。 この幼く敏い王妃を認めていないのだ。「お二人共、お気をつけて。特にオルタナ様」「えっ? 僕っ⁉」「自覚のない無鉄砲さは、自覚のあるお転婆より危険です」 馬車内に残るエルダーは、真剣な顔でそう言った。 確かに、王妃は子供である事やあざとさを自覚して使っている。 でもオルタナは自分が無鉄砲だと思った事は一度もなかった故に、エルダーのその言葉に心底驚いてしまった。 先に降りたオルタナは王妃の手を取りエスコートする。 王妃が降りた途端に野次馬の民達が騒めくのを感じた。 王妃はそれを物ともせず、ケルメスの言葉を無視して馬車内で待っている大公妃に声を掛けた。「お待たせして申し訳ございません、マダム・キャンベル」「いいえ、王妃様。早くお乗りになって下さいませ」 扇子で顔を半分隠した大公妃の言葉を聞いて、大公妃の馬車の御者が扉を開けてくれた。「お足元にお気を付けください」「ありがとうございます……」 無視されても平然とした顔をしているケルメスは、大公妃の馬車の出発と共に引き連れて来た護衛を並走させネロ区の関所を通過する。
ミレー中尉に至ってはヴィンス・サリバン公爵閣下の番がどうお得なのかを延々と語って来る始末。 結局、番の話は有耶無耶になったが、この日を境にノエルやミレーとも普通に会話出来るようになった。 庭の方から子供の笑い声が聞こえて、オルタナは不思議に思い二階の私室の窓から顔を出す。 広く美しい庭園のガゼボで、ミレーと少女が笑い合っている。 少女は下級貴族の様な質素な装いで、傍には見た事のない中年の髪のない下男らしき男が侍っているが、少女の髪は鴉の濡羽の様な美しい黒髪だ。 あんな黒髪を持つ少女が下級貴族
口に入れた瞬間から、何が入っているのかを考えて、危ないと判断したら吐き出す。 でもそれが遅れれば、体に支障が出る。 どんな薬草で、どういう症状が出るのか。 どの程度なら問題なく食べられる物なのか、常に考えていなければならない。 勿論死ぬほどの量は含まれていないが、祖母はスパルタだったから、吐こうが下そうが、白目をむいて倒れようが容赦なかった。 そうして具合を悪くする度、祖母が作ってくれるのはミルクベリーのスープだった事を思い出す。 母乳に近いと言われる栄養価の高いベリ
そう聞かれて、オルタナはただ全力で左右に首を振って答えた。「こっちを向いて。オル……オーリィ」「へっ?」「怖くない、と言っていただろう?」「ちょ、まっ……」「ぶはっ! ははははははっ……流され過ぎだぞ、オーリィ」 公爵は、我慢ならないと言った風に腰を折って笑う。 解かれた手首には、まだ公爵の熱が残っている。 何が起こっているのか未だに整理が付かないオルタナの脳内は、混乱し熱を持って呆然とするしかなかった。
アウルム地方にあるサリバン公爵家の別荘へ来て一週間が過ぎようとしていた。 気候の良いアウルムではもう、雪の残る所はなく、芽吹いた若い緑が眩しい程だ。 オルタナの為に用意された特別な部屋とは、薬草に関する書籍や古文書が所狭しと並ぶ一室だった。 拘束も解かれその部屋を私室として与えられ、普通に暮らしていた。 そう、普通だ。「いや、おかしいだろ……」 目が覚めていつも思う。 ここで何をしているのだろうか?







